アイドルは有限

だから精一杯応援したい

平成も終わりますね。どうでもいい私の話です。


もうすぐ7月だ。平成30年、最後の7月だ。

私は30歳になる。来年からはもう数え年が年号でなくなってしまうのなとおもうと、ちょっぴり寂しい。

でこさんの中では私は24歳くらいのままのイメージらしく、30歳とは思ってないらしい。逆に、家族からしたら「あんなにちっちゃかったあかりがもう30かぁ、老けたなぁ」とよく言われていた。実際何歳に見えるかは分からないけど、最近、少し前よりは若返った気がする。


というのも、平成最後の夏、私は療養することとなり、実家を出た。正確には、家出をしてから、行政を交えて両親と話し合い、合意を得て家を出た。家で先は私が最も信頼している相方であるでこぽんさんの家だ。彼女の家もまた、諸事情で空きスペースがあるので受け入れてくれた。

前々回の会社はいわゆるブラック会社で、なかなかしんどいものがあった。どうにも上がらない営業成績、頑張ろうとしているのにどんどん頑張れなくなっていく脳と身体、正直その時点でうつ病だったのかもしれない。

会社は廃業し、次にメーカーの営業職についた。前々回の会社はブラック会社だったが、前回の会社は超ブラック会社だった。

私の要領の悪さもあるものの、朝8時に始業、10時までに一件目の取引先にいく。その日次第ではあるものの、昼休みにご飯が食べれないこともたまにあって、電車待ちながら虚しくビスコを食べたりもした。

平均的に20時、21時ごろに家に帰ってきてご飯を食べてから、22時からから今日の仕事の事務処理を行う。日付跨いだあたりに気持ちのリセットでお風呂に入る。25時から終わらなかった今日の分の事務処理、そして明日向かう取引先の資料作成、準備。やっと終わって就寝が27時から28時。これが月〜金までで、土日は平日できなかった資料作成に時間が割かれた。

だいたいこんな生活をしてると、余程好きな仕事じゃなかったら心も体ももたない。上司からの連絡が多かったり緊急対応がおおかったり、お家騒動があったり。何よりも、こんなに寝てないと元々蝕まれてたうつの影が鳴りをひそめられなくなっていった。JRさんにご迷惑おかけする前に自己都合で退職。変えの人がいないなら最後は月末バイトさせられて到底休職、有休消化なんてできなかった。


でも、辞めればうつも治るかと思ってた。


すぐに転職活動を行い始めたけど、なかなかうまくいかない。体がだるい日もある。動きたくない日もある。でもコンサートにはいくし、ジャニーズのテレビは見る。そんな生活をしていたら、母がブチ切れだ。

「大変なのはわかるけど、理解できない。趣味優先してる場合じゃないでしょ」

間違いない言葉だとおもう。だけど、私のメンタルは自分が知らないうちに削れ切っててもう限界だった。

もとより母の事は大好きだが、被害者意識のとにかく強い人であり、思い通りにならないと家庭が非常に重苦しい空気になる。だからわたしは極力合わせて生きてきた。しかしこれは母にとっては理解のできないこととされてしまった。

わたし転職活動頑張ってるのに。頑張ってるのに伝わらない。母の一挙一動がしんどい。ああ全部しんどい。

そう思った早朝、リビングから父と母の喧嘩の声が聞こえた。

「私は頑張ってるのはわかるけどあかりのことを理解できない」

ときおりジャニヲタを優先する事が理解できなかったらしい。でも、間違いなく今の心の支えなんだ。それが理解してもらえないなら、もう私はこの家にいる事が耐えきれない。つらい。しんどい。悲しい。苦しい。

私服で面接だったことをいいことに、一時間でトランクにジャニヲタグッズと少しの衣服と人形をつめて、私は新幹線に乗って家出した。

大学時代に、友人のお姉さんがうつ病になったらしい。でもジャニヲタは出来るし旅行は出来るのに具合悪いとかいうの、理解できない!!と言っていたのを思い出した。きっと母もそうなのだろう。でも私はお姉さんの気持ちがやっと理解できた。


こんなことになるなんて思いもしなかった。だって、家族が大好きで、とても大切で、あやの躾を悪いと思ってこなかったから。

でも、本当に言いたいことを言わせない空気を作り、言わせないのは、躾としてよくなかったのかもしれない。幼稚園からやってたピアノ、やりたくなくて中3までやらされてたけど、未だに楽譜読めないよ。やりたくなかったから覚えられなかった。(まぁなので先生の見本みて覚えて弾いてた)


でこさん家に家出してきて、でこさんは暖かく向かい入れてくれて涙が出るかと思った。持つべきものは頼れる友。今日も今も感謝してます。本当にありがとう。愛してるよー!



未成年なら行政が入ってくれるだろうと思ったけど、大人と大人との関係性のこじれに行政は対応してくれるのだろうかと思い心配だったけど、メンタル系の窓口の方がお話をちゃんと聞いてくださり、正式に私は家出することになった。

そして最近、ついに私は今まで愛着のあった神奈川県民から愛知県民になった。

家出の時から変わらずでこぽんさんの家で同居させてもらうことになった。


「とにかく、まずは療養と、治療をしよう」という父の言葉通り、30歳にして無職になった。こんな未来、数年前も数ヶ月前も予想してなかった。強制的に休むことになる。病気と向き合う。療養ってなにすればいいの、早く元気にならなきゃ。仕事できるようにならなきゃ。

焦れば焦るほど涙が出てきた。あの後、実家では両親が喧嘩したりなんだりといろいろあったとかなんとか。未だに理解しきれてない母が爆発したとかなんとかで大変だったよーなんて呑気なラインをくれたけど、申し訳なさでいっぱいいっぱいだった。

それを思い出しては涙が止まらなくて真夜中にでこさんのベッドに倒れこんで抱きついて泣いたりもした。


そういえば、ここ数ヶ月前、子供返りしているふしがある。嫌なものはいやだ!あれたべたい!これしたい!泣くときは泣いて、苦しい時には苦しいという。全部実家でできなかったことだ。


30歳の初夏、無職にしてバラ園を見にいったり、ディズニーシーに行ったり、キスマイコンにいったり、あじさい祭りを見にいったり、お金ないくせにいろんなところに行っている。これからサマパラの当落もでる。もちろん行く予定だ。

バイトするメンタルはまだできてないからもう少し時間かかるけど、こうやってやりたいことをゆっくり過ごしながらやって心を整えて行くのが療養なんだろう、と思う。


人生まったく思い通りにいかないものだ。

こんなことになるだなんて思いもしなかったし、今日も26時に寝たのに5時に目が覚めたり、不眠症の薬が全然効かない!

あっ、メンタルのお薬飲んでると献血できないんですよ!寂しい!この前やろうとして全部アウトでした!残念!


1日にやれることが体力気力の問題で限られてるけど、少しずつ治せればいいなと思う。

あと、ほんとにでこさんには感謝してる。結婚でもしますぅ??でこさん阿部くんの嫁だし恋愛感情一ミリもない私たちですが(笑)


平成最後の夏、無職になって療養中。

次の元号の夏には、バイトぐらいは出来るくらい、治っていたい。